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2008年02月03日

阿久悠さんのことば

昭和を代表する作詞家、阿久悠さんは、NHKの番組「ようこそ先輩」の企画で母校である淡路島五色町都志小学校の6年生24人を対象に作詞の授業をしました。終了後、阿久さんが生徒達に贈った詩は、ことばの大切さをしみじみと感じるものでした。

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たくさんの言葉を持っていると
自分の思うことを
充分に伝えられます

たくさんの言葉を持っていると
相手の考えることを
正確に理解出来ます

言葉は道具ではなく
心と知性そのものですから
キラキラ光るものを
たくさん たくさん
持っていましょう

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このときの授業の様子は、阿久さんの著書生きっぱなしの記 にも書かれています。

「ぼくはやはり作詞家であるから、その課外授業では、歌うための詞を書かせることにした。 ・・・ぼくは自由な発想と表現のために、逆に窮屈な枠を嵌めた。」

「ぼくが思う自由とは、窮屈さを克服し、逆手に取る面白さを言う。何でも勝手に書きなさいと与えられた自由では、ありふれた言葉の使いまわしか、困ると常套語に逃げ込む安易さしか生まれない。自由の中で尚それ以上の自由の価値を見つけるのは、とんでもなく難しいことで、天才か達人でないと出来ない。みんなはそれを誤解して、制約なしで白紙に向かわせることが自由だと、つい思ってしまう。」

「ぼくが生徒たちにやらせようとしたのは、この曲先行の方で、メロディが出来ていて、言葉の数が定まっていて、それを崩さずに思いを表現することは難しい。・・・しかし、制約があるために、とんでもない表現の言葉を思い付くこともある。・・・日常の決まりきった語彙の中で探そうとしても不可能なことが、曲先行の制約の中で気がつく。・・・子どもたちにそれをやらせたかった。」

「ぼくはまずトレーニングとして、日常何の気なしに聞き流している音が、音ではなく言葉であると解しなさいと、音の翻訳をさせた。たとえば、こうである。授業開始と終了時に鳴るチャイムは、毎日どんなメッセージを発しているのか、書かせたのである。」

「音もまた言葉であるということに意外に思ったらしい。音は音、チャイムはチャイム、単なる合図に過ぎないと考えていたのが、話しかけていると言われて脳が開いたのか、「今から 始まる 元気な あいさつ」「寝不足 寝たいよ 頭も 痛いよ」「みんなが 帰って さびしく 鳴らすぞ」とか、二十四人ともそれぞれの翻訳をした。」


posted by 浅井 晴美 at 14:31|ed | 教える
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